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アスベスト問題を考える香川県民集会が開催されました (第248回 6月9日 )

梶義照実行委員長(生協みき診所長・高松平和病院名誉院長)が挨拶を行いました
梶義照実行委員長(生協みき診所長・高松平和病院名誉院長)が挨拶を行いました

 6月7日(日)午後、高松市内で、アスベスト問題を考える香川県民集会実行委員会主催の「アスベスト問題を考える香川県民集会」が開催され、230人が参加、マスコミ数社の取材もありました。

 はじめに、梶義照実行委員長(生協みき診所長・高松平和病院名誉院長)から、挨拶がありました。

 「約30年前に肺癌で亡くなった、エタニットパイプ(現・リゾートソリューション社)に勤務していた患者さんについて、ケースワーカーや家族の熱意に支えられ、専門家の意見も参考にして意見書を書き、香川県初のアスベストによる労災認定を認めさせた。その10年後、他の病院で、中皮腫で亡くなった患者さんの家族から依頼があり、その病院に行きカルテを借りて書類を書き、労災認定をかちとった」「その後アスベスト問題に対する取り組みが進んだが、この疾病は10年20年先におきてくる病気だから、被害者を救うにはどうすればよいか、完治しない病気でもあるから、今後も考えなければいけないと問題だ。こういう集会を持ち運動をすすめていきたい」

200名を超える参加者の熱気でとても暑い一日でした(冷房の故障もありましたが)。
200名を超える参加者の熱気でとても暑い一日でした(冷房の故障もありましたが)。

 続けて私が「アスベスト関連疾患について」について講演を行いました。私は、「アスベスト問題は、政治問題であり公害問題である。世界的にアスベストの発癌性が指摘され、使用禁止が謳われた時に、日本政府や厚生省がどういう態度を取っていたのかが問われる」と指摘しました。

 1972年に世界保健機関(WHO)が、フランスのリヨン会議でアスベストの発がん性を明確にしました。欧米では大量消費とともにアスベスト関連疾患が問題になっていた時期ですが、日本はこの後に大量消費に向かい、1974年には輸入量が最大になります。その後、石綿の取り扱いに対して一定の規制がかかりますが、輸入や使用そのものに規制がかかる事はありませんでした。この事は、米国での石綿使用量と比較すると明らかです。米国では1970年代前半にピークを迎えるものの、その後急減1985年には日本と使用量が逆転、1990年には数万トンと日本の20%程度になります。

 1986年に国際労働機関(ILO)が、アスベストの中でもとりわけ危険性の高い青石綿や茶石綿の使用を禁止する石綿条約162号を採択しましたが、日本では1990年初頭までは年間20万トンを越す輸入を続けました。

 企業のありかたに問題はあるものの、それだけでは済まない「政治の問題」があると思います。

 ※マスコミの報道については、こちらを参照下さい。

 http://mytown.asahi.com/kagawa/news.php?k_id=38000000906080002

 http://mainichi.jp/area/kagawa/news/20090608ddlk37040341000c.html

 http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/social/article.aspx?id=20090608000129


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