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香川医療生活協同組合

沖縄県民に連帯し、普天間基地の完全撤去を求めます

(第382回 11月19日 )

 日本医療福祉生活協同組合連合会(医療福祉生協連)は、11月に開催された第3回常任理事会において、「21世紀を平和の世紀とするために、沖縄県民に連帯し普天間基地の完全撤去を求めます」という声明文を決定しました。全文を紹介します

2010年11月6日

沖縄県民に連帯し、普天間基地の完全撤去を求めます

日本医療福祉生活協同組合連合会
第3回常任理事会

 1995年に起きた米兵による少女暴行事件は沖縄県民の大きな怒りを呼び、同年「沖縄に関する日米特別行動委員会(SACO)」が設置されました。

 そのSACO最終報告書(1996年12月)において普天間飛行場(以下、普天間基地。沖縄県宜野湾市)は、「今後5乃至7年以内に、十分な代替施設が完成し運用可能になった後」返還するとされました。

 2005年10月に日米両政府は、普天間基地の「代替施設」である新基地を名護市キャンプ・シュワブの兵舎地区と海上の一部に建設する案で合意(日米合意)しました。

 SACO最終報告書で「今後5乃至7年以内に」返還するとされた普天間基地は、その後14年が経過した今日なお住宅密集地に存在し続け、2004年8月には同基地に隣接する沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落・炎上するなど、沖縄県民のいのちとくらしを脅かし続けています。

 また、移設先とされた名護市辺野古では、沖縄医療生協組合員・職員も支援する海上基地建設阻止の座り込み行動が続き、県内移設を許さないという県民の意思を表明しています。

 「最低でも県外」と主張して総選挙に勝利した鳩山前首相でしたが、さまざまな曲折を経て方針を転換し、2010年5月23日には2006年の日米合意に沿った移設方針で日米両政府が同意したとする日米安全保障協議委員会共同発表を行うに至りました。

 社民党の連立政権離脱などの混乱から、鳩山前首相は2010年6月2日退陣しました。後を継いだ菅首相も、普天間基地に対しては鳩山前首相の立場を継承しています。

 

 2010年9月7日に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件以後、中国の行動をけん制し領土及び海洋権益を確保するためとして沖縄米軍基地の存在を評価する動きがあります。

 また、現在2千人の沖縄本島陸上自衛隊部隊を2020年までに南西諸島を含めて2万人規模とし、「防衛態勢」が手薄とされる宮古島以西への部隊配備が検討されています。

 こうした動きに対しては重大な懸念を表明せざるを得ません。

 尖閣諸島問題は、何よりも外交努力によって平和的に解決する途が探求されなければなりませんし、それは可能であると考えます。

 普天間基地をめぐる沖縄県民の思いは明確です。

 沖縄県議会本会議は今年2月24日、普天間基地の早期閉鎖・返還と県内移設反対を盛り込んだ意見書を全会一致で可決しました。

 意見書は、同基地について「被害は多くの周辺住民や各種施設に及ぶことが想定され、極めて危険性が高い」と指摘。「移設」先とされる名護市辺野古についても、「世界にも類を見ない美しい海域」「地元名護市長は、辺野古の海上及び陸上への基地建設に反対している」としています。

 また、4月25日には普天間基地の早期閉鎖・返還を求めると共に県内「移設」に反対する県民大会が開催され9万人が参加しました。

 さらに、今年1月の名護市長選挙では「移設反対」を主張する市長が当選し、9月の同市議会議員選挙では市長支持派が過半数を占めました。

 10月15日には名護市議会は、普天間基地を名護市辺野古に移設することを内容とする「日米合意」の撤回を求める決議と意見書を賛成多数で可決しました。

 「世界一危険」な普天間基地を一刻も早く撤去する

 県内移設は許さない

 それが沖縄県民の思いです。

 沖縄には「チュニクルサッテン、ニンダリーシガ。チュクルチ、ニンダラン。」ということわざがあります。「他人に痛めつけられても眠ることはできるが、他人を痛めつけては眠ることができない」という意味です。

 このことわざを大切に伝えてきた沖縄の人々が、沖縄にいらない米軍基地をほかのどこかの地に移すことを望むはずがありません。

 「普天間基地は移設することなく完全撤去、返還」が沖縄の人々の心からの願いだと信じます。

 日本医療福祉生活協同組合連合会常任理事会は21世紀を平和の世紀とするために、沖縄県民に連帯し普天間基地の完全撤去を求めます。

以上


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