広島に原爆が投下されて72年となる8月6日、県原爆死没者慰霊平和祈念式が、高松市の峰山公園内にある慰霊碑「原爆死没者の碑」前で営まれ、香川医療生協から来賓で出席した小池靖有 専務理事が挨拶をいたしました。
みなさんこんにちは。ただいまご紹介いただきました香川医療生活協同組合の専務理事をしております小池と申します。本当にお暑い中、参列された皆様、またご準備をされた関係者の皆様に心から敬意を表しますとともに、原爆によって亡くなられたすべての人々のご冥福をまずお祈りいたします。
核兵器の禁止条約が採択されたことはすでにお話がありましたので、割愛しますが、決議は本当に素晴らしいものだと思いますし、その決議に日本が棄権するなど恥ずかしいと思います。
今朝の広島の式典のあいさつで、広島市長がしっかりと条約に触れたのに比べて、安倍首相が全く触れなかったのは大変残念に思いました。
さて、私どものセンター病院である高松平和病院で、被爆者健診を始めたのが1969年、昭和44年からですので、今から48年前となります。すでに当時のことを直接知る職員がいないなかで、私を含めすべての職員が、資料や先輩方、あるいは患者さんからの話で当時の様子を知るのみとなっています。若い職員には職員研修の課題として、戦争体験の聞き取り活動を行っていますが、時代の移り変わりの中で、記憶や思いを受け継ぐことの難しさや大変さを日々感じています。
今年5月に医療生協の坂出支部と9条の会坂出が憲法70周年記念として「戦争を語る」集いを開きました。そこでは7名の方の空襲や原爆の体験が語られました。どなたも大変な体験をされており、二度とそういう体験はしたくないし、だれにもさせたくないと語っておられました。貴重な体験談でしたので、本にまとめて広く知らせる取り組みが進められています。
私たちが被ばくや戦争の経験者から直接話が聞ける時間はそう長く残っていません。それをきちんと記録し後世に伝えて行く事は、私たちに課せられている課題ではないでしょうか。
さらに、冒頭でも触れました、被爆者の願い、日本国民の願いを実現する核兵器禁止条約を、一日も早く日本政府にも批准するように働きかけて行く事も重要な課題です。
いのちに寄り添う医療機関を運営する者として、核兵器をはじめ、いのちをもっとも軽んじる戦争につながるあらゆる政策に反対する運動を広げる努力を続けていくことをお誓いしまして、香川医療生協からの挨拶といたします。