1990年(平成2年)「三木町を中心に東は引田まで組合員を2000人増やしてみき診療所建設を!」とのスローガンの下建設運動が始まりました。平和病院より谷川さん、大西さんが常駐し、谷川さん一家は三木町に家を借り住み込みです。その自宅を事務局に、樫村さん、山本町議、越智さん他多くの方々が集まり会議を行い、一軒一軒訪問し組合員、出資金を集めました。津柳の樫村さんは、自宅前の畑にリンゴの木を植えて、オーナー制度を募り、リンゴの袋かけや収穫時には乳牛の乳しぼり体験、バーベキュー、こんにゃく作りと様々な楽しいイベントを企画し、組合員を増やしました。
1992年(平成4年)4月1日に、生協みき診療所オープン。所長は、内科 蓮井先生、小児科 平野先生、看護師 横山師長、谷川事務長でのスタートです。私の母も平病で蓮井先生にお世話になっていましたので、みき診へ移りました。内科は順調に患者を増やしていきました。小児科の平野先生は子ども達を広島の原爆ドームへバスツアーで連れて行ったり、戦時体験で、すいとん汁を作ったり、竹を切ってきてソーメン流し、竹とんぼ・水鉄砲作りなどしながら小児患者を増えていきました。さらに小児科・太田先生のアトピー外来は(テレビ出演で有名)、県外からも受診があるほどです。私が勤めだした年(平成7年)から予防接種が集団接種から医療機関での個別接種となり、私はその集計から請求までを担当し、小児科がなくなるまでしていました。西村所長先生の時だったと思いますが、組合員の要望で平和病院から整形外科の細川先生が週1の診察が開始され、21時くらいまで診療が続くほど盛況でした。その後にデイケア、給食(デイケー)、訪問看護、ヘルパーステーション、居宅介護支援と次々と新しい事業所が開設されました。
2016年より田中所長赴任し、訪問診療がスタートし、患者数100人は早々に実現して今に至っています。患者が増えていくに従って、東讃ブロックは三木支部だけだったのが、11支部まで増やしました。支部を増やすにあたっては広島・松江・熱海・高知に見学に行き、参考にして、田村さんのもと支部を増やしていきました。支部を一気に増やした経験を、今度は私自身が体験談として発表するようになり、熱海・高知などでつたない発表をしたのも楽しい思い出です。以後も組合員活動を総代会で2回発表し、総代も27年間担当しております。医療生協総代会では書記、副議長もさせていただきました。その支部が三木南、白山、氷上、田中、平井、津柳、さぬき南、大内、志度、白鳥・引田、最後に津田、現在は津柳が三木南に入って10支部です。
これからも、医療生協の繋がりづくりを職員と共に地域に根差し、明るい街づくりに尽力していきたいと思います。
白山支部 真鍋絹代